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万年筆と世界の終わり
友人の形見の万年筆をなくした。僕はこの万年筆が、ずいぶんと気に入っていてペン先を何度か修理しながらも十年以上愛用してきた。 彼は僕より三つ年上で大リーグのシカゴカブスの大ファンだった。カブスのダンストンはオジースミスより守備が美しい。野球は太陽の下でやるものでデーゲームしかやらないリグレー球場の野球が本当の野球なんだ。ドンジマーは監督やってるより葉巻きをくわえて安物のマフィア映画にでも出てる方似合っている・・・。そんな話を飲むとよくしていた。 それから彼は女の子によくもてた。飾り気のない明るい性格とプレゼント好きがその理由だったと思う。けれど彼はずいぶんとひどい運動神経の持ち主で、車の運転はおろか三十歳を過ぎても自転車すら乗ることができないでいた。それで、デートはいつも女の子の送り迎えで助手席がいつも彼の指定席。そんな彼が飛行機事故で死んでしまった。
十一年前のクリスマスに彼は結婚し、その年最後のテレビのニュースで僕は彼らの不幸を知った。「ニュージーランドでフィヨルド遊覧飛行中の小型機が遭難。乗客には新婚旅行中の・・・・」。翌日届いた年賀状には、「ワールズ・エンドに行ってきます。」と書かれていた。地の果てワールズ・エンド。彼らは今も氷に閉ざされた「世界の終わり」に眠り続けている。 本当の悲しみというものは、朽木が水底に静かに沈澱していくように、知らない間に心の井戸に堆積していくものかもしれない。そして、年月を経て再び水面に浮かんでくる朽木もある。 彼の残してくれた万年筆がいつしか僕の一部分となりそれをなくした時、はじめて僕は友人を失った事実と悲しみの意味を僕自身の欠落というかたちで知ることとなった。 「彼は本当にいなくなってしまったんだ」ということを。 僕もいつか「ワールズ・エンド」に行きたいと思う。その時、彼と何から話しをすればいいのだろうか。
(敬)
98年9月
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