好きなだけ      何で山に登るの

   

    

 さすがに雨でも雪でも毎週のように山に行き出すと必ず同じことを聞かれるようになる。「何で山ばっか行っとるの。山のどこがええの」と。うーん、どこがええのと聞かれても困ってしまう。ただ山に行きたいだけで、特別理由があるものなら自分だって誰かに、いや自分自身に聞いてみたいものだ。そう思っていたら、いい言葉を見つけた。

   

『 私達が山に登るのは、つまり山が好きだから登るのである。登らないではいられないから登るのである。なぜ山に登るか、好きだから登る。答えは簡単である。しかしこれで十分ではあるまいか。  登山は志を大にするという。そうであろう。登山は剛健の気性を養うという。そうであろう。その他の曰く何、曰く何、皆そうであろう。ただ私などは好きだから山に登るというだけで満足する者である。

                      木暮理太郎「日本アルプスと秩父巡礼」序より 』

      

「好きだから登る」そう、その通り。簡単にして究極の答えではないか。自然の美しさ、動物や人との出会い、山頂を極める達成感、壁を目の前にした時の昂り、山には数えきれないほどの発見や感動が満ち溢れている。でも、それらを求めて山に出かけるわけではない。一日中雨に降られても、落ちそうで足がすくむほど恐い目に遭っても山に行ったことを後悔したことなど一度もない。何故なら「山が好き」ただそれだけだからである。

      

    

     

木暮理太郎

      

 1880?年生まれ。極端に寡黙で、なぜかずっと大学に籍を置いていて33歳で中退。大正2年。田辺重治とともに案内(ガイド)なしで槍ヶ岳から剣岳を縦走。アルパインスタイルのさきがけとなったが、一刻を争いあえて危険や困難に挑むような競争的な登山に疑問を呈し、自然の美を楽しみながらゆったり歩く登山こそ日本人にふさわしい登山と考えていたらしい。山の伝説、民俗、歴史、地名や山名の考証を盛んに行い、山岳展望という新しい概念を開いたとされている。

参考 「岳人事典」(東京新聞)年表、小泉武栄著「登山の誕生」

        

      

02.01.18